逗子の思い出
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先週の日曜日、逗子に行ったのですが、駅から歩くのはものすごく久しぶりでした。
鎌倉にあるのが「鶴」ヶ岡八幡宮なのに対して、逗子は「亀」なんです。
境内は狭いですが、縁日の時は屋台が出て、子供の頃は楽しみでした。
ここは私が通っていた小学校の近くなので、小学生の頃、よくここで缶蹴りをして遊びました。
そしてこの銀杏の木、子供の頃は柵などなく、この木の間に入って、背中と足を突っ張って、背丈よりも高いところまで上ったり(上ったと言えるのか?)しました。
逗子には、「逗子文化プラザ」というところのホールに仕事で行ったのですが、私が住んでいた頃は、逗子文化プラザはまだなかったです。
あったのは逗子体育館。
イベントがあると、体育館のステージが利用されていました。
「そっか〜、逗子にもホールが出来たか〜。」
今ではどんな田舎に行っても立派なホールがあるご時世、逗子にホールがあっても不思議はないですが、どこにあるのかは知りませんでした。
で、出かける前に地図検索すると・・・・
「ん?それって、逗子小のとこじゃないの?」
そうなのでした。
もともと逗子小の一角は、小学校、体育館、図書館が隣接して建てられていたのですが、それが再編され、逗子文化プラザが出来たようでした。
ですが、近隣の住宅は、まだ当時のままのところもあるようで・・・
詳しくは覚えていませんが、校門近くの家は昔のままのようでした。
その中で、記憶に残っているのがこの家・・・。
引き戸を開けて入ると、人一人が入れるくらいの叩きがあって、すぐに商品が並んでいました。
店の中も間口一間しかなく、小学生が学校で使うような文房具しか置いてなかったのですが、当時の私には、魅力的なものが並んでいる場所でした。
記憶が定かではないですが、当時放映が始まったウルトラマンの表紙がついたお絵かき帳をそこで買ったような気がします。
店は、その時でも自分の母親より年上ではないかと思える「おばさん」がやっていたのですが、おそらくは大部以前に商売はやめていたのでしょう。
今は建物も傷み、人が住んでる気配もありませんでした。
でも、当時の記憶に残る建物が、まだそのまま残っていたのには感動を覚えました。